メディアを中心に、「正しく恐れる」という言葉を多く耳にします。買い占めやパニックにならず、科学的根拠に基づいて冷静に行動しましょうという意味で使われていると思われます。
実にキャッチーで伝わりやすい文言だなぁと感心したものでした。
この言葉は、明治の物理学者である、寺田寅彦先生の言葉から引用されていると知りました。ちなみに有名な「天災は忘れた頃にやってくる」も、同じ寺田先生の言葉です。スゴイですね!
さてお気づきかと思いますが、実際に記載されているのは「正当にこわがる」です。
TV等でよく耳にする「正しく恐れる」と、引用元の「正当にこわがる」。
どちらも同じといえば同じですが、なんだか聞いた時に受け取るニュアンスがちがいませんか?「正しく恐れる」を、寺田先生の言葉としてしまうのは、私の中ではなんだか漠然とした違和感が残りました。
そんな時、「正しく恐れる」と「正当にこわがる」を拝見しました。日付的に東日本大震災に関しての内容でしたが、今回のパンデミックに対しても当てはめて読むことができ、私の中の違和感をすっきりさせることができました。
「正しく恐れる」は、『そんなに怯えなくてよいよ。理論的になろう。冷静になろう。案外大丈夫だから。』と言っているのに対し、
「正当にこわがる」は、『キチンと、こわがろう。こわいからこそ、の行動をしよう。」と言っているのだと私は解釈しました。
正当にこわがるとは、「なんだかこわい」という感覚的なものと、科学的根拠に基づく知識の両方を大事にしている印象をうけます。こわいという負の感情を尊重した上で、冷静にその感情を受け止め、理論的に行動する必要を主張しているのです。
常にこわいという感情は手放さず、行動できそうな範囲を探りながら生活するのが、正当にこわがっているといえるのではないでしょうか。
一方で正しく恐れるの方は、もう少し理論的思考の方向に重きを置いています。科学の知識をつかって、恐れる必要のある部分は恐れ、恐れる必要のない部分は恐れなくて大丈夫であると主張しているのです。恐れる気持ちを理性で制御して、科学的に大丈夫といわれた部分では恐れないで生活するのが、正しく恐れていることになります。
ここまで考えられた時、私はとても納得しました。メディアはあえて、「正しく恐れる」の方を使用する必要があったのだと。
メディアが「正しく恐れるために」と使用する際は、風評被害だったり口コミで買い占めが起きたりと、根拠のない事実に人々が振り回されている時です。問題の本質ではない部分に翻弄されてしまっている時です。
不必要な恐れは不要であることを伝えるためには、あえて「正しく恐れる」の方を使用した方が伝わりやすかったのです。
さて、昨今の私たちが日々を過ごすうえで必要な方はどちらでしょうか。
「正当にこわがること」の方ではないでしょうか。
原因もわからず、姿も見えないウイルス。ましてや新しいウイルスですから、どんな学者も正確な正体をつかむことがまだできていません。
そんな未知の脅威の中では、恐れなくてよい場所など存在しません。
常に丁度よいレベルの「こわい」という感情を持ち続けることが必要です。
負の感情を増殖させすぎると生きづらくなりますし冷静さを欠きます。かといって減らしすぎると危険性が高まりますし、やはり冷静な判断ができなくなります。
こわいという感情が多すぎず少なすぎない、絶妙なバランスを保つことが必要なのです。個々のレベルで、「どれだけ正当にこわがることができるか」が大切なのです。
更に、この適切なバランスは日々変化しています。状況を冷静に見極めながら、自分の頭と心で判断することが大切なのです。