読書感想文は、夏休みの宿題のなかで、一番苦手という人も多いと思います。
私も学生時代は大っ嫌いでした。
そんな読書感想文を数十年ぶりに、書いてみたら、案外おもしろかったです。
きっかけは宿題の音読でした。
長男の通う小学校では、毎日の宿題の一つに音読があります。
国語の授業で扱っている教科書の部分を、家の人に音読する宿題です。
学校で丁寧に取り扱う物語だと、約1ヶ月半の間、同じものが音読されるというわけです。(なんと50回以上!)
私は何度も同じ話を聞くうちに、だんだん適当に聞き流すようになっていました。
しかし、せっかく同じ聞く時間を過ごすならば、しっかり聞いて、本気で読書感想文を書いてみようと思ったのです。
以前、息子が受けた「全国統一小学生テスト」で国語の物語文の正答率がやたら悪く、
音読をしっかり聞いてあげるところから対策していこうかなというのも、きっかけのひとつですw
<きっかけ>
・何十回も同じ話を聞く機会があった。
・息子のテストで物語文の正答率が悪かった。
読書感想文ってどうやって書くのだっけ?
いざ、読書感想文を書こうと思った時、どのように書けばよいのか全く分からない自分がいました。最初の一文字が書けないのです。
手も足もでないとはこのことです。
そんな読書感想文に途方にくれている私に救世主が現われました。
こちらの「【読書感想文】すらすら書ける書き方シート【60分でできる】
」です。
ここでは、「読書感想文書き方シート」を使って読書感想文を書く方法を紹介してくださっています。
つまり読書感想文を書く人は、本を選んで、6枚のシートの空欄に合わせて思った事を書き入れていくだけで、読書感想文が完成してしまうのです。大変便利です。スゴイです!
早速使わせて頂くことにしました。
そうして初めて書いたのが、「ないたあかおに」の読書感想文です。
子供向けの本ですが、大人の私が感じたことを本気で書いてみました。
ちなみにかかった時間は、全部で2時間程でした。
子どもの方が、素直に感想を書けるので、もっと早く出来上がるかもしれません。
「泣いた赤おに」読書感想文
この本を味わう前は、「泣いた赤おに」に対して、「子供向けのお話だろう」とのイメージを持っていました。
しかし、読み終わった後は、「なんて深いお話なのだろう」と感じました。
この話は、小学2年生は小学2年生として感じるものがあり、中学生ならば中学生なりに別の部分に感銘を受け、親は親の立場から見えてくる世界観があるなと気が付いたのです。
読み手がそれぞれの立場で違った味わいを感じることができる、多面的な作品なのだなと思いました。
「泣いた赤おに」には、赤鬼が出てきます。
この鬼は村の外れに暮らし、人間の仲間になりたいと思っています。
毎日、お茶とお菓子を用意して、友達になりたい旨の看板を出して、村人たちが来るのを待っています。しかし、村人は怖がって赤鬼の家に遊びに来てはくれません。
その後、遠方に住む仲間の青鬼のはたらきで、村人たちと仲良くなれますが、今度は青鬼との交流が途絶えます。
そして、青鬼を心配した赤鬼が、青鬼の家に様子を見に行くと、空っぽの家と自分宛の手紙を見つけます。手紙を読むことで、青鬼は赤鬼のために遠くに旅に出ることを知ります。赤鬼が手紙を泣きながら読んだところでお話は終わります。
私が気になったところは、物語冒頭の赤鬼の説明時に、「~のようであった」としきりに書かれている部分です。
この部分が気になった理由は、赤鬼は架空の生き物ではないと作者は言っているように感じだからです。「赤鬼のようであった」そのものは、村人とは異なる文化圏からきただけの「人」であるように感じられたのです。
作中の、赤鬼が人の文字を書ける事に村人が驚くところも、見たことがないお菓子を作れるところも、赤鬼のようなものは、村人とは異なる文化の「人」である印象を強くしています。
すると、この話は自分の価値観とは異なる集団の中に、どうにか入りたいと頑張る人の現実な話になるのです。
赤鬼は帰国子女の転校生であり、一回り年齢の違う若いママ友たちと円滑な交友関係を作りたい母親であり、転職してきた会社員であるのです。
このような考えにたどり着いた時、「泣いた赤おに」の話と私の距離感は、ググっと近づいたのでした。
また、赤鬼が村人と仲良くなった後に、赤鬼が村人に一方的にお菓子やお茶を提供しているところも、私が気になった部分です。
村人はお菓子やお茶を貰うだけ、赤鬼は提供するだけの関係が書かれている一方で、「友達ができて赤鬼は寂しくなくなった」とも書かれていることに、作者はあえて不協和音を作り出しているように思えたからです。
そんな「村人」と対をなす立場で描かれているのが「青鬼」です。
青鬼は、いくつもの山をはるばる越えて、赤鬼に会うために、家まで来てくれていました。
村人は、近くから、お菓子とお茶を楽しみに、家まで来てくれています。
「赤鬼と村人は、本当の友達になれたのだろうか」こんな疑問が、私の中から自然と浮かんできました。
もしかすると赤鬼は、村人が遊びに来てくれるようになって嬉しいと思う一方で、どこか満たされない思いや違和感も感じていたのではないでしょうか。
だから、青鬼の事を思い出し、青鬼の家を訪ねていったのかもしれないなと私は思いました。
赤鬼は村人のコミュニティーの中に入れたようでいても、村人の根幹な意識下では「よそもの」のままだったのかもしれません。
少なくとも、青鬼が自分の家の中をめちゃめちゃにして去っていかれたおじいさんとおばあさんは、まだ遊びに行っていないだろうなとは思いました。
私がおじいさんやおばあさんだったら、急に鬼に自分の家をぐちゃぐちゃにされたら、その暴れた鬼を止めてくれた良い鬼と認識していても、警戒心が解けず、気軽にお茶を飲みにはいけないだろうなと思うからです。
この本のクライマックスでは、赤鬼が青鬼の手紙を読みます。自分のために青鬼は遠くに旅にでたことを知るのです。
村人との生活に憧れていた赤鬼が、村人の社会に入ることができたけれど、その代償として青鬼と会えなくなってしまった事を知る姿から、私は当たり前と思っていたものの中に真に大切なものはあるのだと知りました。
そして、私も赤鬼のように大切なものを見逃していないかしらと考えさせられました。
この話を読んだ後私は、「誰かを不幸にしないと得られないハッピ―エンドなんてものは存在しない。」との気持ちを強く持ちました。
赤鬼は、青鬼が自らを悪者にする提案を受け入れてはいけなかったのです。
仲良くなりたいはずの村人であるおじいさんとおばあさんの家をめちゃめちゃにする提案に、断固反対しなければいけなかったのです。
せっかく親身になってくれる青鬼がいたのですから、「誰もが不幸にならずに、赤鬼と村人とが仲良くなれる方法を一緒に見つけてほしい」ということ赤鬼はお願いするべきだったのです。それに向けて、努力をしなくてはいけなかったのです。そして、青鬼の存在の大切さを、もっともっと認識するべきだったのです。
赤鬼の流した涙の中には、青鬼に会えなくなった悲しさだけでなく、この状況にさせてしまった責任や、後悔や喪失感といったさまざまな気持ちが入っているのではないかと思いました。
この話を読み終わって私は、赤鬼のような悲しくてやるせない涙を、自分は流したくないなという気持ちになりました。これからは、何か問題が起きた時は、できるだけ誰もが不幸にならないような解決方法を考えて行動していきたいです。
読書感想文を書いた感想
私は久しぶりに読書感想文を書いて、非日常的なイベントだなと感じました。
物語の本を読んで、言葉にできないような感動や心の揺らぎを、しっかりと文章でまとめる行為は日常ではほとんどなかったので、新鮮で非常に楽しかったです。
本
コクヨ キャンパス 原稿用紙 縦書 A4 二つ折り 20枚 罫色茶 ケ-20N